
| 隅田川と千住のお話 |
彌生も末の七日 明ぼのゝ空朧々として 月は在明にて光おさまれる物から不二の峰幽かに見えて 上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る 千じゆと云所にて舟をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ 行く春や鳥啼魚の目は泪 芭蕉 是を矢立の初として行道なをすゝまず 人々は途中に立ちならびて 後ろかげのみゆる迄はと 見送なるべし |
| ●奥の細道 旅立ちの地 松尾芭蕉は 元禄2年 3月27日 新暦5月16日 なごりをおしむ弟子たちと深川から船に乗り 小名木川から隅田川をさかのぼり 千住に上る。芭蕉さんが 千住にお出でになったのは 午前11時頃とか ●鬼平犯科帳 平蔵にも、密偵たちを誘い、大川で舟遊びをするゆとりでき。川面に、舟の船頭が歌う千住節が流れ、思わず聞き惚れた平蔵だが 彼が持っていた煙管を見て驚く ●千住節-川越夜船 川越と江戸の間を定期的に就航する。 鉄道やトラックの輸送が発達するまでは、物資の輸送は船運でした。江戸時代には千住宿の河岸場であった橋戸河岸があり、千住宿には船を操る船頭職がいました、船頭たちに間で歌い込まれて知られているのが千住節(川越夜舟) 川越をおよそ午後4時頃出帆し、千住川岸へ朝方着く 寛永15年 川越の大火で類焼した東照宮の再建資材を芯川岸川を利用して 江戸から運んだのがおこりとか。三百三十余年の昔である。本格的なったのは、10年後 当初は藩の蔵米を江戸に運び しだいに生活物資から旅客も乗せるようになった 馬の背で二俵、大八車でも5俵が精一杯の時に、この川越船は二百五十俵ずつ運んだというから有りがたさが身にしみるわけである。鉄道の開通と水路改修で昭和6年通船停止となる |
![]()
| ■つるちゃんのプラレタリウム**2003年火星大接近徹底解説 ■ 隅田川 MKさんの上野、浅草、隅田川のホームページ ■ 川越原人のホームページ・・川越の歌と文学 ■ 時代劇専門チャンネル・・『鬼平犯科帳第 9シリーズ』 |