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寿信/jusinの桜探検 2003 |
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| ● 千住の桜 | |||||||||||||||||||||||||||||||
| 2004年
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さくら土手 千二(東京足立区立千住第二小学校)現千寿小学校 ●人々のくらし 学校の前の通りは、土手になっていて、掃部堤といって、関屋から橋戸町・仲町を通り緑町・桜木町を通って西新井橋に行く、大切な道でした。 学校のまわりは、田畑で、五・六軒の農家が転々とあるだけでした。夜は、はるかかなたの三河島から町屋方面の農家の明かりが見えました。 土手には、桜が植えられ、春は花が咲き、桜のトンネルとなりました。桜の花は、江北橋あたりまでつづき、花見のときは、人手が多く、車止めとなりました。 春の花見、夏の夕涼み、秋の月見など人々には、なじみぶかい土手でした。 |
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| ●お花見のころの桜土手 第一回卒業生(千寿第二小学校)、瀬田兼丸さんは、次のように書いてくれました。 お花見のころになると、土手のあちこちに、丸太を組み合わせ、よしずりばりの茶店ができ、土手には、床がはられ、床下は、子どもたちの、よい遊び場でした。 お店では、サイダーや、おだんご、ゆで玉子、のりまき、いなりずしなどを売っていて、赤い前かけ姿の、お姉さん達が、「お休みくださいませ。」などと、大声で呼び立てていました。 土手は、お花見の人で、ごったがえしていました。 子どもたちは、土手で、「すもう」をとったりすみれ、タンポポをつみながら遊んでいました。 |
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| さくら土手 千二より | |||||||||||||||||||||||||||||||
●さくら土手 江北の五色桜や中川の桜にくらべると、その規模は小さく見劣りがしましたが、千住地区にも”さくら土手”と呼ばれる名所がありました。 しかし、ここは、千住地区の住民でなければわからない名所かもしれません。 この土手とは、掃部新田を開拓した石出掃部亮吉胤が、元和二年(1616)四月幕府に出願し、翌三年五月に完成した掃部堤のことです。 これは、現西新井橋の手前から牛田に至るもので、高さが約四メートル、長さが約二キロにおよぶものでした。 |
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| 足立百の語り伝えより | |||||||||||||||||||||||||||||||
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