寿信/jusinの桜探検 2003 |
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| 2003年 千住と桜・荒川提(足立)の五色桜 | ||
| 千寿第二小学校のまわりは田畑で 5.6軒の農家が点々とあるだけでした さくら土手(写真:さくら土手千二) |
![]() さくら土手 千二より |
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| jusinの母校は東京都足立区千寿第二小学校 2002年に千寿小学校統合 校舎は残り千寿小学校となりました 現在の荒川放水路(昭和5年)ができるまで、土手といえば、ここしかなかったので千寿第二小学校は「土手の学校」と呼ばれていました。牛田駅の近くから西新井橋の手前までの、高さ4m、長さ約2KMの土手です(掃部提かもんづつみ)。 明治の終わりごろに、桜をうえ桜土手と呼ばれ、西新井橋手前から緑町にかけて両側が、桜並木、江北橋あたりまでつづき、春の花見、夏の夕涼み、秋の月見など、なじみぶかい土手でした。 現在では 桜木町という名が残り、車が渋滞、墨提道りと名を変えましたが、子供達は、黄色の帽子をかぶり 毎日元気に登校しています |
| ●五色桜・桜 rink ●清酒発祥の地 兵庫県伊丹市/米国ワシントンD.C.の桜物語 ●ちれきみん/ちれきみん X ●江戸っ子の部屋/公園だーい好き/桜の名所 ●佐久良亭 ●横川ホームページ/"祝"首都高速中央環状王子線開通 −− 五色桜大橋と環境対策工事 |
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| ポトマック河畔の桜並木 舎人公園 看板より |
都立舎人公園 レーガン桜 2003.4.6 |
千住桜木町 元宿堰稲荷神社 お化け煙突 |
| ●荒川の五色桜 五色桜:品種の名前ではなく、一般的な染井吉野のほかに八重桜が混植され、白や黄色、淡紅色や濃紅色などに彩られ、五色も霧がたなびくごとく見えたことからこの名前がついたといわれています 足立区の江北一帯は、昔「荒川の五色桜」と呼ばれた 桜の名所でした。 足立と桜は切っても切れない縁がある。その始まりは1886(明治19)年で、荒川提の補修の際、78種、3225本の桜苗が堤防上に植えられてから、この桜提には、八重桜を主とした全国の里桜が集められた。このため、開花時期も花の色も種類によって異なり、花見行楽の期間も長く、荒川五色桜と評判をとり明治から昭和の初期まで東京名所としておおいに賑わいました。 その間 荒川放水路開削があり、堤防の付け替えで切られたが、補植などで堪え、1924(大正13)年には国の史跡名勝天然記念物に指定され、全国に知られ、、明治から大正、昭和初期にかけて「荒川の五色桜」と呼ばれ、東京市内から花見客が訪れ、掛け茶屋が並び賑いた桜の名所でした ●荒川の五色桜と首都ワシントンD.C.のポトマック湖畔の桜並木 1912(明治45)年「荒川の五色桜」は、東京市から日親善のために荒川提の桜11種の苗がアメリカに寄付され、首都ワシントンのポトマック湖畔に植えられた。現在この桜の並木は3000本あり、世界的な桜の名所となって、毎年盛大に桜祭りが行なわれています。 日本の桜の美しさに関心を寄せる米国人が、ヘレン・タフト大統領夫人に桜の植栽を勧めていたのを知った尾崎行雄東京市長は 明治42年桜樹2000本を米国に送りました。しかし桜樹には害虫が寄生していたため、すべて焼却。そして 病気や害虫のつく恐れの少ない苗の産地として選ばれたのが 兵庫県伊丹市東野の桜の苗木 大事に育てられたあと 荒川提の桜を穂木としてこれに接ぎ木し 明治45年に再び送られ、同年3月27日ホワイトハウスに近い ポトマック湖畔に植えられることになり 植樹祭では 当時のタフト大統領夫人が、最初の1本を植樹しました。その後 桜を愛する米国の人々の努力により世界的な名所となり、贈った桜のうち700本あまりは 桜植樹70周年記念祭にも美しく花を咲かせました ●里帰り桜 一方 本家の「荒川の五色桜」は堤防工事や公害 で残念なことに衰退。第二次世界大戦後は多くを失い、往年の盛時の影すら見る事はできなくなってしまいました。 。 1952(昭和27)年 「五色桜」を復活を願った区の希望は聞き届けられ、ワシントン在外事務所を通じて、かつての荒川提の桜が送られ里帰りを果たしました。この桜を接穂とともに全国から再び名桜を集めて育て、72種367本を荒川左岸、本木から鹿浜に至る堤防下に植たが全滅。 再度ポストマック湖畔から 里帰りが図られに、昭和56年2月 ナンシー・レーガン大統領夫人から「日米友好親善 桜の特便」として都に送られました。この桜は都知事によってレーガン桜と命名されて都立舎人公園内に植樹された。区でも関係者をポストマックに送って、先の桜から挿木用枝700余本を採取して持ち帰り、区内の公園、学校その他の施設の庭々に植えられ、こんどは枯死することなく春らんまんの花を咲かせています。2003.3.31 都市農業公園 |
●里帰り桜が植えられている公園
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| ●江戸時代の開拓者;石出掃部亮吉胤 掃部新田と掃部堤 千住大橋から旧区役所前の荒川水除堤までの間は、いつも潮がさしてくるような低い湿地で、一面に葦のはえている河原でした。吉胤は幕府の許しを得て、この河原を開拓し、その南側に水除堤を築いた。四季を楽しませてくれた土手は、 水害からも守ってくれました |