| 千住大賑い会 |
| 千住の心を彫り込んだ 彫刻家 富岡 芳堂 |
開府以来千住大橋は、江戸八百町の動脈、北の玄関として江戸を支えてきました。そしてこの橋を守るため多くの人々の貴い心血が注がれてきたのです。 千住界隈も橋の恩恵をうけて古くから発展しましたので人々の心の中には、橋に対し感謝の気持ちが根づいており現代まで受け継がれています。 この気持ちの表れとして、現鉄橋へ架け替える時(大正15年)幕府終焉を見とどけた最後の木橋橋材を人々は貰いうけ、千住の旧家が発起人となり頒布会を組織し千住の人々の気風を後々まで伝えるために、彫刻家 富岡芳堂に依頼し、いくつもの彫刻となりました 彫刻家 富岡芳堂(当時千住二丁目、富岡呉服店生まれ)がこの思いを一心に彫りこんだ作品は戦災をくぐり抜け今も旧家に秘蔵されています。(戦災の為ほとんどが焼失) |
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| 富岡芳堂プロフィル 中央 芳堂、右 妻 あき |
●本名 富岡 米蔵 ・1890(明治23年)12月2日生 1957(昭和32年)12月3日没67歳 ・富岡呉服店千住二丁目16番地、富岡忠兵衛氏の 次男として生まれた。(頒布会資料による) ・千住中居町に住居アトリエ(写真中央本人)を持つ。 |
| ●富岡芳堂の家族 ・奥様は「あき」といい、明治29年11月15日生まれで昭和40年3月3日没。 ・長男は 光太朗:こうたろう 昭和54年4月4日没 ・次男は 實:みのる 肥沢家に養子 東京都葛飾区在住 ・長女は 内城 弘子 千葉県松戸市在住 孫 肥沢直子(こいざわ なおこ)女子美出身の学校の美術教師で、芳堂の道具を 使用し塑像を製作している。 |
●事績 ・幼くして芸術を好み、彫刻家吉田芳明氏に師事。 ・1915(大正4年)米国サンフランシスコで開催 された万国博覧会に国産代表作品として出品され、 二等銀牌を受けた。他文展、帝展に数度の入選を重ねた [千住町名士月旦による] ・1927(昭和2年)第八回帝展に高野槙材で「久遠の春へ」を出展。 [頒布会趣意書による] ・南北千住町に旧千住大橋 銘木高野槙橋杭大黒天恵比寿彫刻頒布会が発足し 3種類の木彫を数多く制作し、千住住民の橋に対するの感謝の念をきざんだ。 ・千住大橋の橋材で作られた多くの作品は、芳堂のスプリットに同感を得た千住の人々に 愛されるものとなり、戦災をくぐり抜け床の間や仏壇奥深くに納められている |
●芳堂について 芳堂の事績、千住生え抜きの芸術家としての渾身の創作から、悔いの無いの人生を送ったもの と思われる。ご子孫のお話を伺う所では晩年は清貧の芸術家であった、大家の証か。 吉田芳明師事時代の同門に、乃木希典の甥 長谷川栄作がいる。その関係だろうか珍しく平服姿の 乃木希典の木像を制作している。芳堂の交友範囲の広さがうかがえる。芳堂は千住に代々続く商家に 生まれ育った、江戸時代から千住の繁栄を支えた千住大橋に、恩義を抱いていた千住の人々の心を、 自身も強くもっていたのであろう。 平成14年8月8日 千住大賑い会 |
| 荒川・墨田川の橋物語 企画展「荒川の橋」 場所:荒川知水資料館(国土交通省) 平成15年2月8日〜7月31日まで開催中に 富岡芳堂の作品が展示されました |