千住大賑い会
 
千住大橋の伊達政宗伝説が現実に
「江戸時代の高野槙の杭発見」
「伽羅よりもまさる、千住の槙の杭」古川柳
天保7年江戸名所図会・千住大橋
大正10年旧千住大橋
橋戸町からの写真

2003年6月19日採取された江戸時代「千住大橋高野槙の杭」
現在採取された「高野槙の杭」は千住「ぶんぶくそば」店内に展示しております。
◆ 江戸時代の旧千住大橋の橋杭を発見できました。それは「高野槙」でした。
 隅田川スーパー堤防工事に伴う、川底の調査の結果、直径52.5cm、44.6cm、54.1cmの杭が発見されました。東京都の要請をうけ研究所(パリノ・サーヴェイ梶jが調査分析した結果、最低でも100年以上は経過した「高野槙」であると判断されました。

@ 千住に言い伝えられてきた伊達政宗公伝説が創架以来409年後に実証されたかたちになりました。
「伽羅よりもまさる千住の槙の杭」  古川柳
伊達政宗公は多人数を引き連れて渡船にて、荒川を渡ったが、1日掛かっても渡りきれなかったので、橋を架ける事を願い出た所「自費にて架けるは勝手次第」とあって高野槙を寄進した(隅田川雑記)

A 文禄3年(1594)以来、何度も架け替え、移動したが、橋杭が初めて流されたのは明治18年(1885)この橋杭も高野槙であった。
千住の古い家々の神棚や仏壇の奥に明治18年に流失した橋杭で作られた彫刻が大事に保存されています。昭和2年現在の鉄橋に架け替えられた時に作られました。千住が現在に至る隆盛を見たのは、日光道中と千住大橋のお陰です。その恩義を形として残す為地元の彫刻家富岡芳堂に依頼したものです。

Bこれから私達は、千住に歴史資料館を造り、木杭を保存し、永く生き繋いできた橋に対する報恩の念を、千住の気風として表したいと思っています。


◆ 元船頭の古老の話から
E この発見は、元船頭の古老の話から始まった。「35年位前に、底の平らな伝馬船が残っていた橋杭に乗ってしまった事がある」と聞き、千住大賑い会が中心となり、昔からの伝承を確認すべく活動を始めたところ、東京都、足立区、国土交通省ほか多くの関係者の協力により明らかとなり大変感謝いたしております。



「江戸より連綿として息づく千住の文化や歴史」を、次世代につなぐ「かけ橋」になろうと結成されたグループです

現在足立区千住は北千住が駅前再開発され、ペデストリアンデッキ、丸井、東急ハンズ、常磐新線の新設で沸いております。一方千住大橋周辺の南部地域は、ニッピ再開発に伴う南口駅広場設置関連の動きが見られます。
  千住大賑い会では、千住全体を「静と動」で表し、斬新なトレンドの町「動の北千住地域」と、歴史と文化が息づく町「静の南部千住地域」という「新・旧」二つの顔を持つ千住と認識し、それぞれの特色を色濃く主張するべきだと考えます。
 千住南部には千住大橋、松尾芭蕉「奥の細道」、やっちゃ場,、伊豆の長八「鏝絵」など江戸時代の歴史を語る重要な史跡があることを世に知らしめ、誇りある明るい町づくりに資するよう活動しております なにとぞ趣旨をご理解頂き、協力のほど宜しくお願い申し上げます。